プレイングマネージャー
またの名を選手兼任監督
プロ野球界で現役選手として活躍しながらも監督として采配を振るう人をこう呼びます。
最近ではヤクルトスワローズの古田敦也,中日ドラゴンズの谷繁元信が選手兼任監督をしています。
選手兼任監督は、現役選手としての実力を持ちながらも、監督として選手やコーチからの信頼、采配力がなければなりません。
選手兼任監督として采配を振るった、試合に出た選手はどのような成績を残したのでしょうか?
Contents
選手兼任監督経験者
2018年シーズン終了時点で選手兼任監督は43名です。
読売ジャイアンツ
中島治康(外野手、1943・1946途 - 1947途・1949)
藤本英雄(投手、1944・1946 - 1946途)
水原茂(内野手、1950)
阪神タイガース
松木謙治郎(内野手、1940 - 1941・1950 - 1951)
若林忠志(投手、1942 - 1944・1947 - 1949)
藤村富美男(内野手、1946・1955途 - 1956)
村山実(投手、1970 - 1972)
中日ドラゴンズ
桝嘉一(外野手、1937春途 - 1937秋・1943)
本田親喜(外野手、1941 - 1942)
杉浦清(内野手、1946途 - 1948)
野口明(捕手、1955 - 1956)
杉下茂(投手、1959 - 1960)
谷繁元信(捕手、2014 - 2015)
オリックス・バファローズ
山下実(内野手、1938 - 1939途・1940 - 1940途)
井野川利春(捕手、1940途 - 1942)
西村正夫(外野手、1943 - 1944、1946 - 1947途)
浜崎真二(投手、1947途 - 1950)
福岡ソフトバンクホークス
山本一人(内野手、1946 - 1952)
野村克也(捕手、1970 - 1977途)
北海道日本ハムファイターズ
苅田久徳(内野手、1947 - 1948途)
井野川利春(捕手、1949)
岩本義行(外野手、1956 - 1957)
千葉ロッテマリーンズ
湯浅禎夫(投手、1950)
若林忠志(投手、1953)
別当薫(外野手、1952途 - 終了・1954 - 1957)
横浜DeNAベイスターズ
中島治康(外野手、1951)
藤井勇(外野手、1955)
埼玉西武ライオンズ
宮崎要(内野手、1950)
中西太(内野手、1962 - 1969途)
江藤愼一(外野手、1975)
広島東洋カープ
白石勝巳(内野手、1953途 - 1956)
東京ヤクルトスワローズ
宇野光雄(内野手、1956)
古田敦也(捕手、2006 - 2007)
大阪近鉄バファローズ
小玉明利(内野手、1967)
松竹ロビンス
伊藤勝三(捕手、1936)
竹内愛一(投手、1941)
坪内道則(外野手、1944)
西日本パイレーツ
小島利男(外野手、1950)
大和軍
森茂雄(内野手、1937 - 1939)
苅田久徳(内野手、1942途 - 1943)
西鉄軍
苅田久徳(内野手、1941)
名古屋金鯱軍
岡田源三郎(捕手、1936 - 1939)
翼軍
苅田久徳(内野手、1938 - 1940)
戦前戦後の選手兼任監督が非常に多いです。
1960年以前に絞っても36人です。
これは、まだまだプロ野球各球団にお金がなく、監督という役職にお金を払う余裕がなかったため、選手が兼任していることが多かったのです。
巨人の藤本英雄投手に至っては26歳で監督をしています。
今回は、1960年以降に監督経験をした選手に絞って、成績を確認していきます。
ただ、全選手を並べると大変なので、今回はセ・リーグ編です。
杉下茂 投手
フォークボールの神様と言われる杉下選手は1959年,1960年に中日で選手兼任監督を勤めました。
年齢としては34歳,35歳です。
しかし、この2年間監督業に専念するため、投手としての出場はありませんでした。
1959年
130試合の出場で64勝61敗5引き分けでリーグ2位
1960年
130試合の出場で63勝67敗でリーグ5位
杉下選手は1961年に現役復帰をするも、その年に現役引退しました。
村上実 投手
200勝投手である村上選手は1970年~1972年に阪神で選手兼任監督を経験しています。
年齢としては34歳~36歳です。
若い!
1970年
投手として14勝3敗
勝率0.824はセ・リーグ1位
防御率も1位で驚異の0.98!
投手としての成績は申し分ない。
監督としては、130試合のうち、
77勝49敗4引き分けの勝率 .611
2ゲーム差の2位でした。
気になる1位は巨人。
この時代は巨人V9時代の真っ只中でした。
圧倒的ヤクルトの最下位。
1971年
投手として7勝5敗防御率2.71
今で言うローテーション投手としての役割はなんとか担っています。
監督としては、130試合のうち、
57勝64敗9引き分けの勝率 .471
リーグ5位という結果に。
1972年
投手として4勝6敗防御率3.61
この年限りで現役を引退します。
監督としては、130試合のうち、
71勝56敗3引き分けの勝率 .559
リーグ2位で巨人の壁には勝てませんでした。
村山選手は3年間のプレイングマネージャーとして、
投手で最高勝率,最優秀防御率を。
監督としてはAクラスを2度達成するという十分な結果を残しました。
古田敦也 捕手
メガネがトレードマークでミスタースワローズこと古田選手はヤクルトで2006年,2007年に選手兼任監督を勤めました。
年齢としては41歳,42歳です。
2006年
選手としては36試合に出場し、22安打8打点打率.244
過去最低の成績となり、オフには大幅減俸となってしまいます。
監督としては、
146試合のうち70勝73敗3引き分けでリーグ3位。(ただ、借金でのリーグ3位)
2007年
選手としては20試合に出場し、6安打打率.333
この年限りで現役を引退します。
プロ野球ストライキ時の選手会長であったりと、プロ野球界の発展に大きく尽力した選手でした。
監督としては、
144試合のうち60勝84敗でリーグ最下位。
選手としての成績は残せませんでしたが、監督としてはAクラス入りも果たしています。
2年目こそ最下位でしたが、今後監督専任としてヤクルトの指揮をとってほしいです。
谷繁元信 捕手
最後の選手兼任監督である谷繁選手は中日で2014年,2015年に選手兼任監督を勤めました。
年齢としては43歳,44歳です。
2014年
選手としては91試合に出場し、44安打1本塁打23打点打率.195
87試合で守備についています。
監督としては、
144試合のうち67勝73敗4引き分けでリーグ4位。
2015年
選手としては30試合に出場し、13安打1本塁打4打点打率.277
この年限りで現役を引退します。
連続シーズン安打,連続シーズン本塁打,試合最多出場など数多くの記録を残しての引退となりました。
監督としては、
143試合のうち62勝77敗4引き分けでリーグ5位。
選手としては引退間近の時期で成績的にはしょうがないですが、監督としては2年連続Bクラス
2016年は監督専任でしたが、最下位という結果に終わり、監督も退任します。
まとめ
1960年以降、セ・リーグで選手兼任監督を勤めたのは4人です。
谷繁選手はAクラス経験なく終わってしまいましたが、他の3選手はAクラスも経験できています。
ただ、長い期間選手兼任監督を勤めるのは大変だということが、よくわかりますね。