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西城秀樹さんの病歴とリハビリの様子が凄かった

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今回は今月16日に亡くなった西城秀樹さんの経歴や病気とそのリハビリの様子をまとめてみました。

西城秀樹さんってどんな人?

1955年4月13日で広島県出身で幼少期からジャズスクールに通っていた。

1972年歌手としてシングル「恋する季節」でデビューする。

翌年73年に5枚目のシングル「情熱の嵐」がヒットし新御三家と呼ばれるようになる。

新御三家とは当時のトップアイドルの3人の総称で野口五郎さん、郷ひろみさん、西城秀樹さんの3人を指します。

シングル曲を多数発売し、着実なヒットを重ねていきました。

代表曲は「傷だらけのローラ」、「ブルースカイブルー」、「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」などです。

俳優としても活躍しておりホームドラマ「寺内貫太郎一家」や映画「愛と誠」などにも出演しています。

75年~80年代に大活躍した男性アイドルですね。

私生活では結婚しており、お子さんもいます。

タバコとお酒が人より嗜んでいたようですね。

これも病気の一因となったのではないか?とも考えられます。

西城秀樹さんの病歴って何?

2003年(48歳)の時、韓国でのディナーショーの後、顔の歪みと歩行がふらつき、まっすぐに歩けなくなる症状が出る。帰国後に脳梗塞と診断され入院となる。この時の後遺症でろれつが少しずつ回らなくなったそうです。

この時にもリハビリを相当頑張ったらしくわずか1ヵ月という期間で復帰しています。

 

 

2011年56歳の時、2回目の脳梗塞が発症となり右半身と言葉に障害が残る。

梗塞のあと、どんなリハビリをしていたの?

この時西城さんは3秒以上立つことができない体を動かすと声に出るほどの痛みがある状態の中リハビリ用の器具を装着し歩行や何十キロもあるおもりを動かすことを行っていたようです。

本人はもう一度「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を歌いたい!という強い思いと家族の支えが嬉しかったとインタビューで答えてました。

 

 

 

家族の人のどうやって支えていたの?

 

2003年(1回目の脳梗塞の時)の事を西城さん本人は「長い時間のツケがたまって病気になったんだから、その分ゆっくり時間をかけて一緒に治していこう」と奥さんが言ってくれた事が一番うれしかったそうです。

家族の精神的支えがあったのですね。

具体的な支援方法については調べましたが詳細は不明です。

まとめ

西城秀樹さんは1970年頃から大ヒット、活躍した男性アイドルである。

代表曲は「ブルースカイブルー」、「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」など

お酒とタバコは人より好んでいた。

2003年48歳で1回目の脳梗塞を発症するが1ヵ月という極短期間で復帰する。

2011年56歳で2回目の脳梗塞を発症、言語(ろれつがまわらない)、右半身に運動機能障害が残る。

西城秀樹さんの「もう一度YOUNG MANを歌いたい」という強い思いと家族の支えがあり、ライブなどで歌が歌えるほどに回復する。

2018年4月25日自宅で倒れ、意識不明となる。

同年5月16日急性心不全で永眠される。

記者感想

推測となりますが右半身麻痺(運動障害)となると左側のバランスの崩れは手などで捕まることができますが、右側はそれが不可能なため非常に転倒しやすくなります。

今まで出来ていたことが出来なくなったもどかしさ、絶望感の中でのリハビリ活動だったと思います。

それでも西城秀樹さんの「もう一度歌いたい!」家族の「やさしさ」の2つの強い要素があったからこそ復帰できていたのだと感じました。

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

雑学

リハビリには4つの期があり、簡単に説明すると

急性期 病気の発症などで体の状態や病気の症状が変化が大きい期間

回復期 急性期などで低下した運動機能などがリハビリによる回復効果が高い期間

病気などにより違いがあり期間の違いがあるが最大で180日とされている。

慢性期(維持期) 体の機能の維持と活動できる範囲の拡大、社会復帰を目指す期間

終末期 高齢者などがその人らしく(本人の希望に沿って)生活できるようにリハビリする期間

がります。

それでは次回の記事で。

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